2018年1月6日

2018年1月6日
昨日、『スリー・ビルボード』の試写会へ。今年最初の映画。これがすごかった!
試写状の写真が、雲の垂れ込めた夕方の空を背景に、横長のでっかい看板が3枚。まっ赤な看板に黒字でこう書かれている。
RAPED WHILE DYING
AND STILL NO ARRESTS?
HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?
その前をパトカーが走っている。
この試写状をみたとき、デイヴィッド・リンチ風のサイコ・スリラーかなと思って、いってみたら、まったくの予想外れで、映画自体は大当たりだった! とにかく、すごい。
舞台はアメリカ南部の田舎町。看板が立っているのはさびれた道路の脇。立てたのは(依頼したのは)、主人公の女性ミルドレッド。7ヶ月前に娘がレイプされ、焼き殺されて発見されたが、犯人についてはまったく手がかりがないまま。ミルドレッドは警察に対する怒りを看板で示すことにした。「殺されながらレイプされた」「なのに、犯人はまだ捕まってないって?」「どういうこと、ウィロビー署長?」
町の住民はミルドレッドに同情していたが、この看板には反発する。というのは、ウィロビー署長は人望があついからだ。とくに署の警官たちは激昂し、堂々と脅しにかかる。
ウィロビーはミルドレッドに会いにいき、事情を説明するが、ミルドレッドは納得しない。「こうしている間にも、犯人はほかの女の子をレイプしてる」と責める。署長はため息をついて、自分が膵臓癌で余命数ヶ月なんだと打ち明ける。するとミルドレッドは「そんなの町中で知らない人間はいないわよ」といい、驚く署長に対し「あんたが死んだ後じゃ意味がないでしょ!」と言い放つ。
ここから物語が始まる。すさまじい怒りをエネルギーにして、人種差別の激しい南部の田舎町の横暴な警官や住民、そして元夫などを相手に闘うミルドレッド……と書くと、りりしくたくましい女性の戦いを描いた映画かと思われそうだけど、それがまったく違う。
ミルドレッドもある意味、じつにいやなところがあるし、暴力的だし、娘の死に関してもある種の後ろめたさがある。一方、乱暴で無神経な警官たちにも人間的な側面がある。これにミルドレッドの息子や元夫、看板を貸すことになるエージェンシーの青年などがからんできて、じつに怖ろしい、いやな展開になっていく。
アメリカのサイトをみていたら、こんな感想があった。
 it's was just a brutal film. I felt physically drained after watching it.
(ほんとに情け容赦のない映画で、見終わったときは、精神的にくたくたになった)
ぼくは精神的にくたくたになるくらいまで観客を追い詰める映画が好きだし、何より脚本が素晴らしい。どこかがいびつな様々な人間がせめぎあい、ぶつかりあううちに、それぞれが抱えている悲しみや憤りや不満がリアルににじみ出てくる。それが切ない。心から共感できる人物がひとりも出てこないのに、ときどき目頭が熱くなる。それに、後味は決して悪くない。
昨年末みた、『殺人者の記憶法』(1月27日ロードショー)といい、『スリー・ビルボード』(2月1日ロードショー)といい、どちらも自分的には満点の映画。
帰ってきてパンフを読んでみると、監督・脚本はマーティン・マクドナー。この名前に覚えはなかったけど、ロンドン生まれで、劇作家としてスタートを切った、代表作に『ウィー・トーマス』……ここまで読んで、この芝居をみたのを思い出した。「小説すばる」のエッセイ「僕が次に訳したい本」に書いたことがあるので、そこの部分だけ引用してみよう。

 

六月、新大久保のグローブ座で、マーティン・マクドナーの『ウィー・トーマス』(長塚圭史演出)を観た。IRAから分派した超過激グループINLA(アイルランド国民解放軍)の超暴力的な青年リーダーが、愛猫が死んだという知らせを聞いて逆上し、父親や隣家の青年を痛めつけるうち、同じグループで反感を持つ連中がリーダーに反逆をたくらんで……という、薄気味悪いユーモアをたたえたブラック・コメディ。後半、凄惨な展開で舞台が血まみれになっていくけど、どこかしらおかしい。強烈な芝居だった。

 

そう、この芝居の作者がマーティン・マクドナーだった。これは捨ててはおけない。というわけで、彼の撮ったほかの2作『ヒットマンズ・レクイエム』と『セブン・サイコパス』のDVDを注文した。


2018年1月4日

2018年1月4日
3日までの音楽は「桑田佳祐 ひとり紅白歌合戦」以外には、ロッド・スチュアート、カエターノ・ヴェローゾ、ピアソラ・・・ふと気がつくとみんな男性。ほかにかけたCDといえば、Bach Trio。マンドリン、チェロ、ベースによるバッハ。これも演奏者3人とも男性。『葡萄』もきいたけど、これもサザン。『永遠のジャンゴ』がよかったので、音楽を担当している、ローゼンバーグ・トリオのCDを買おうと思ったら、日本ではあまり扱っているところがなく、アメリカのAmazonに4枚注文。これも3人とも男性。なんか、今年の音楽は男ばかりかよと思っていたら、酒井さんから4枚CDが送られてきた。
これがなんとも気の利いたセレクトで、ちょうど60年前、1958年に録音されたジャズのアルバム。どれも女性ヴォーカル。ジュリー・ロンドン、ジェリ・サザーン、ベヴァリー・ケニー、ルー・アン・シムズの4人。みんな1920年代後半から1930年代の生まれ。とても楽しい!
それにしても、ジュリー・ロンドンの目って、本当にこんな緑だったんだろうか? ネットで調べてみたんだけど、目がはっきり映ってる写真がなくて確かめようがなかった。ただ、Julie is her name 2のジャケットの目は本当にきれいな緑。そういえば、赤毛のアンも目は緑だったような。
翻訳のほうは、Sarah CrossanのOneを進めているところ。さて、〆切に間に合うかな。


2018年1月2日

2018年1月2日
昨日、元旦は朝、まず包丁を研いだ。牛刀、ペティナイフをふくめ、安物のス
テンレスの包丁もふくめ、6本。昔は、砥石と包丁の刃の角度があいまいだっ
たので、十円玉を下に入れて感じを覚えたんだけど、もうその必要はない・・
・ような気がする。コツは、力を入れず、いい加減に研ぐこと・・・だと、ど
こかの本に書いてあった・・・けど、ほんとかなあ。料理屋さんなんかで、力
入れて研いでるとこ何度もみてるし。よくわからない。詳しい方、教えてくだ
さい。ただ、家庭用の包丁はまめに研ぐなら、軽くでいいんだと思う。砥石が
3つあるけど、やっぱり仕上げ砥は使わない。中砥ひとつで十分。あとのふた
つはほこりをかぶってる。

 

昨日の晩は、『桑田佳祐第2回ひとり紅白歌合戦 昭和88年度!』をBGMに年賀
状書き。こちらも83年度版に負けず楽しい。バックも充実。ただ、前回の「清
水美恵、安奈陽子、ロバとペイリン・エチオピアン・シスターズ」が出ていな
いのが残念。

 

柴田訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)、読了。この「語学的
にはツッコミどころ満載の語り」を見事に訳出しているところも素晴らしいけ
ど、なにより、こんなにのびのびと語られた『ハック』は初めてだと思う。じ
つに快い。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが短剣だ、」(246ページ)の訳をみて思
い出したのが、河合祥一郎訳『新訳 ハムレット』(角川文庫)のあとがき。
To be, or not to beの訳を過去の翻訳から42抜き出して、これまで最も人口
に膾炙(かいしゃ)してきた「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と
訳したものはなかったことを実証。あらためて、これを『新訳 ハムレット』
で使うことにしたと書いてある。さすが! 早く、シェイクスピアの37作品す
べて、この人の新訳で読み直したい(フレッチャーとの合作らしいとわかった
『ふたりの貴公子』もぜひ!)
蛇足ながら、ぼくの持っているロレンス・オリヴィエ主演の映画『ハムレッ
ト』の字幕は、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を使っている。


2018年1月1日

2018年1月1日
大晦日は角川短歌のゲラに目を通したり、馬場あき子さんのいろんな相談事の聞き手をつとめるのに読んだ歌集のうち、まだパソコンに打ちこんでいないものを100首ほど打ちこんだり、その合間に部屋の片付けや料理をしているうちに終わってしまった。
ぼくの部屋にはテレビがないので(というか、18歳のとき東京に出てから、ほとんどテレビはみてない)、紅白の代わりに桑田佳祐の『ひとり紅白歌合戦 昭和八十三年度!』のDVDをかけて、ようやく、新年。

 

みなさま、明けましておめでとうございます!
どうぞ、今年もよろしくお願いします。

 

年越し蕎麦は、温かいとろろ蕎麦。蕎麦は出雲蕎麦。

 

さて、年が明けて、ひとり部屋で何を聞く? というわけで、考えてみた結果、

桑田佳祐続きで『稲村ジェーン』?
『ひとり紅白歌合戦』でみるたびに、わくわくする原由子の『Mother』?
年末に見ておもしろかった映画『永遠のジャンゴ』がらみでジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのアルバム?
定番ピアソラ『タンゴ・ゼロアワー』?
同じく定番のキャス・パンの『窓外』?
いや、いっそ、山口百恵のベストアルバム?
いや、ショトックハウゼンの『ヘリコプター四重奏曲』?(いや、それはないか)
じゃ、ロッド・スチュアートの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』?
まて、フレンチテイストのジャズアルバム『Jazz SaintGermain』?
ちょっと胸のうずくtahiti80?

 

なんか、どの本を読むか悩むときより、どのCDかけようかと悩むときのほうがずっとエキサイティングで考えてしまうのはなぜ?
などど書きながら、もう飲み過ぎ。

 

目が覚めて、何をかけたのか覚えてなかった。
おはようございます。

 

元旦は包丁を研いで、靴を磨いて、年賀状を書いて、少しだけ仕事をします。

そうそう、馬場あき子さんの歌集を読み直していて、この時節、目にとまった歌を。
・どっちにしてもつづきのつづきの新年に年とるわれのちびた鉛筆
・亡き父母も遠くなりたり年たけてわれこそ遠き人となりゆく
・老い桜ただまつ白き下にゐて逝く時は速し来る時はなし
・遠き人世を去り近き人も遠し心にさくら散り尽くしたり
・海からいきなりわれを追ひくる雨の足 逃げないでください逃げないでください

 

そういえば、昔、父親が元気だった頃は、元旦はみんな和服を着て、和室に集い、ひとりひとりお屠蘇をいただき(三つ重ねの盃をまわして)、おせち料理を食べて、寝て、午後また麻雀やゲームをして遊んで、また飲んで食べてという新年だった。

 


2017年12月30日

2017年12月30日
今年の後半は、仕事と体のことに関していいことがあったような気がする。
体のほうでは、昨年末から半年近く引きずった脊柱管狭窄症が今年は軽い。脚を温めるようにしたことと、去年まではシャワーですませていたのを、ちゃんと湯船につかるようにしたせいだと思う。
それからもうひとつ、毎年恒例の風邪引き、これがなくなったわけではないけど、12月半ばの東板橋図書館と中央図書館でのワークショップが終わるまではなかった。終えてすぐ風邪を引くところがまた律儀な性格をあらわしているのだけど、それも軽くて助かった。なにしろ23日は東直子さん主催の麻雀大会だったので。そうそう、この大会は病み上がりで少しだるさが残っていたものの優勝してしまった。一等賞の賞品が、東さんの書いた紀州犬の絵。これが素晴らしい。お正月、壁にかける予定。
仕事のほうで楽しかったのが、NHK短歌での穂村弘さんとの対談。これが1月号から3回に分けて掲載されているところ。それから、角川短歌で、馬場あき子さんの「作歌・人生相談」の聞き手役をつとめさせていただいたこと。こちらは2回に分けて掲載の予定で、1回目はいま出ている2018年1月号に載ってます。
早速、藤本玲未さんが感想を送ってくれたので、本人の許可を得て、引用。

 

面白く拝読しました。整えようかと思ったのですが、せっかくなので勢いにのせて書いてみます。まず、扉の「聞き手は、日本を代表する翻訳家であり大の短歌愛好家である金原瑞人さんです」という紹介の文章が新鮮に感じました。NHK短歌の穂村さんとの対談も本屋さんで見かけて、確かに短歌にとても近い翻訳家の方なのかもしれません。
角川短歌からの提案として「(前略)とにかく今は明るい時代とは言えないんじゃないかと思うんですが、そんな馬場さんに今日は、読者や若手歌人から募った悩みや作歌相談に答えていただきます」とあって、前半は馬場さんの歌を引用しながら作歌背景が垣間みえる形で進行され、馬場さんの歌についても勉強できる良い構成でした。
<一尺の雷魚を裂きて冷冷と夜のくりやに水流すなり>は、歌もエピソードも印象深くこころに残りました。この歌をもし今の歌会に詠草として出したら、読み筋として、実体験に即しているという方向から読み進められる参加者は少ないかもしれません。あまり評の言葉として用いたくはないですが、作歌当時の時代背景に伴う常識の違いは、同世代で集まる歌会に参加することの多い身として、推測できうる範囲のフィクション/ノンフィクションは限定されてしまう感じは否めません。歌会の場では作者による自解はされないことが多いように思いますが、もっときいてみたい、と感じました。
質問は、金原さんがおっしゃったことが一番興味深かったです。馬場さんの回答は独特でしたが、耳から入る方なのかな、と思いました。質問のひとつ手前の「言葉のリズムと音感によって入った言葉っていうのはすごく強く定着するんですよ。」「「じゃ読みましょう」って言って一節読むとわかっちゃうの。読むたびに言葉の意味まで入っている。」と身体感覚的なお話が続いてから、p96の「伸びていく音の心地よさというのは、つつましい感じがするのよ。(中略)七音が入ると高音の感が入ってくる。それがとっても快い」(略)「そういうところの音の強弱がすばらしいと思うんです。」(略)「最初の五音って七音の歌い出しに比べて低いんですよ。五音って枕詞でもわかるとおり古代から「呪」の言葉なんですよ。」など、声に出す際の抑揚に着目されていて、作歌の上でも調べの心地よさや耳馴染みを気にかけられるのだろうか、と気になりました。他の文献にはもっと詳しく述べていらっしゃるのかもしれませんね。あと、「今どきの女の子ってお酒注いでくれないですよ。注ぐのはだいたい僕です。」というのは、あ……と思いました。

 

とのこと。なんとなく、ほめられているような気がする。
そういえば、「575、57577」という音節数に必然性があるのかどうかという疑問は昔から頭のなかにあって、今回、大御所の馬場さんに忌憚のないご意見をうかがったんだけど、じつはほぼ同じ質問を穂村さんにもしていて、これがNHK短歌の3月号に載る予定。おふたりの答え(返答)がまったくちがっていて、ちがっているにもかかわらず、相手を納得させてしまう説得力を持っているのが不思議。
それからもうひとつ、今年の6月頃からずっと抱えていた、抱えてきた翻訳の難物が、ようやく終わった! ついさっき、編集さんにファイルで送ったところ。こんなに長いことかかわった翻訳も珍しい。


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