2020年6月30日

 最果タヒさんとの共訳『わたしの全てのわたしたち』(サラ・クロッサン)が評判で、たまに感想を送ってくれる人もいるのですが、昨日届いた感想は、これもまた若い人とは思えないくらい濃い内容で、何度か読み返したくらいです。できれば英語に訳して作者に送りたいくらい。

 というわけで、本人からOKが出たので、載せます。

 

 自分の存在が誰かの迷惑である。というきっつい事態を、受け入れられるか。受け入れられないか。

 人に迷惑をかけない人間なんていないので、そもそもこの二択は設問がおかしくて、答えは実質「受け入れる」一択なんですよね。 「自分は存在するだけで人様に迷惑をかけるから、自分なんて死んだ方がいいんだ」と口にする人をたまに見かけますが、それは「人様」への思いやりというより、人に迷惑をかけるダメな自分が受け入れられないということではないかと、私はつねづね思っています。

 自分の存在が誰かの迷惑であるという事態に、ティッピとグレースは生まれたときから直面していました。

 ティッピが煙草を吸えば、グレースの身体に迷惑がかかります。グレースの心臓の機能が低下すれば、ティッピの身体に迷惑がかかる。

「相手に迷惑がかかるから、自分なんて死んだ方がいい」なんて逃げ場も、ふたりにはありません。自分が死ねば、相手も死ぬからです。

 ティッピとグレースは、相手に迷惑をかけることから──つまり、相手に迷惑をかけるダメな自分自身から、決して逃げられないのです。

 逃げられないならどうするか。受け入れるしかないんですね。

 ティッピは、グレースが嫌がることをわかっていて煙草を吸います。グレースは、ティッピが退屈することを知っていてアップルパイを焼きます。ティッピがティッピらしく、グレースがグレースらしくあろうとすれば、必然的に相手に迷惑をかけることになる。でもふたりは、ある意味開き直りのように、自分のやりたいことをする。

 ティッピとグレースが、互いを深く愛しあえるのは、ふたりが互いに、相手に迷惑をかける自分自身を受け入れているからだと思います。

 生まれたときからお互いに、自分の存在が相手に迷惑をかけている事実に向き合わざるをえなかったから、できたことでしょう。  ところが、結合双生児でない人はそうはいかないんですね。 ティッピとグレースとは対照的に、自分の存在が誰かの迷惑になっているという事態に耐えられないのが、パパです。

 ママが失業している間はやさしかったパパが、ママが仕事に出始めたとたんに酒浸りに戻るのは、就職できない自分がママに迷惑をかけているという事態に耐えられないからです。

 妻に迷惑をかける、ダメな自分自身が受け入れられないんですね。だからお酒に逃げるんです。

 お金がないのに、お酒を買ったり、サイズの合わないトゥシューズを買ったり、部屋の模様替えをしてしまったりするパパは、わざわざ失敗をしてみせて(もちろん無意識ですけど)、「こんなにダメな自分を、それでも受け入れてくれ」と叫んでいるように思えます。

 自分で自分が受け入れられないから、人に受け入れてもらおうとするんですね。

 ティッピとグレースと違って、自分の存在が人に迷惑をかけているという事態に、そこまで直面してこなかったから、受け入れられないんです。 パパは、コミュニケーションの取り方においても、ティッピとグレースのふたりと対照的です。

 ティッピとグレースは、身体を共有していてもなお、言葉でのコミュニケーションをたくさんします。「これは嫌」とか、「これについてちゃんと話し合おう」とか。 でもパパは、身体を共有してさえいない家族と、言葉でコミュニケーションをとろうとしません。

 探し物が見つからないと、「探し物が見つからなくて、イライラしているんだ。いっしょに探してほしい」と言葉にするのではなく、やたら大きい物音を立てて無言でアピールします。

 たぶんパパは、ティッピとグレースと違い、自分自身とのコミュニケーションも取れていないんでしょう。

 自分がイライラしていること、ダメな自分が受け入れられないこと、でも受け入れたいと思って苦しいことを、自分で把握できていないんだと思います。 パパは結合性双生児ではないので、自分の身体や状態について、言語化して話し合う相手がいなかったから。

 ティッピとグレースを見ていると、ここまで「迷惑」という言葉を使って述べてきたものが、この語の持つニュアンスほど、悪くて重いものではないような気がしてきます。

 せいぜい、「二酸化炭素」くらいの感覚でしょうか。生きているだけで排出されてしまい、時には環境に悪影響も与えたりするけれど、絶対的な悪ではない、みたいな。

 あなたがわたしに及ぼす影響は、ときに害でもあるけれど、それでも、そこをふくめてあなたなのだから、そこをふくめて、あなたを愛している──そういう関係なのだと思います。

 人に迷惑をかけてはいけない、という価値観の根強い日本で、生きているだけでお互いと周りに「迷惑」をかけてしまう障害者のティッピとグレースの姿は、 わたしたちが「迷惑」と呼ぶ何かにこそ、そして、「迷惑」をかけてしまうダメな自分にこそ、輝くものがあることを示してくれるのではないでしょうか。

 ただ、かわいそうなのは、摂食障害になってしまったドラゴンです。

 私はドラゴンと同じく、きょうだいに障害者がいるので、何人か同じ立場の知人がいるのですが、私を含め、摂食障害を経験しているきょうだいは多いです。

 ティッピとグレースの一家は、子どもが障害児で、父親がアルコール依存症で、そういういろいろな問題をひとりで背負わざるをえなくていっぱいいっぱいのママが、日々のイライラをぶつけられる相手は、ドラゴンしかいなかったんでしょう。 ドラゴンは、そうやって怒りをぶつけられるたびに、いい子でいなくちゃ、ママに迷惑をかけちゃいけないって思って、理想の姿へ自分を追いつめて、摂食障害になっていったのではないかと想像してしまいます。

  「ドラゴン」というあだ名が切ないです。翼をもがれて、炎も吐けなくさせられてしまったんだって、よくわかります。 『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』といい、『ワンダー』といい(映画しか観ていないのですが)、この本といい、物語に描かれる障害児のきょうだいって、もう本当に優秀でいい子(にならざるをえなかった子)ばっかりで、現実におけるきょうだい児の苦労がしのばれます。あ、自分で言っちゃった。

 作品の読者という立場を離れた、ひとりのきょうだい児としては、作者が障害児のきょうだいの苦しみにも目を向けてくれたことがうれしかったです。

 それにしても、これだけ障害児を描いたYAがあるなら、きょうだい児を主人公にしたYAってないのでしょうか。  あったらすごく読んでみたいです。ドラゴンが救われる話を読みたい……。



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