2020年4月21日

                   

 

 この頃、散歩というつまらない運動をたまにするようになり、そのときにはうさばらしに書斎(といってもぼろアパートの一室)に寄って、本や書類の整理をすると書いたのだが、つい先日、その書斎でおもしろいものを発見した。
 高校の頃から演劇は好きで、労演が呼んでくる俳優座、文学座、劇団民芸などの芝居はよく観ていたし、浪人になって東京にやってきてからはアングラ、小劇場の芝居をたまに観にいった。野田秀樹の芝居も夢の遊眠社の頃から紀伊國屋劇場などで観ていて、いまでも野田マップの公演にはよく足を運ぶ。その野田秀樹の『2001人芝居(にせんひとりしばい)』の小さいパンフが出てきたのだ。2001年2月の公演で、場所は青山のスパイラルホール。
 そのパンフのなかの野田秀樹のエッセイを読んでいて、「おや」と思ったので、そこの写真を貼りつけておくので、どこが興味を引いたかは各自、考えてみてください。


 2016年、読売新聞夕刊の「もったいない語」というエッセイ欄に寄稿したので、これを読んでもらえばわかると思う。

 

 大学で文芸創作を教えているので、かなりの量の文章を読む。年に三回の合宿では、原稿用紙で三百枚、四百枚の小説が出てくることもある。だから、この頃の大学生の使う言葉については詳しいし、よくある間違い(「口をつむぐ」というほほえましい間違いに、ついこないだ出くわした)についても詳しい。漢字の読み間違いも楽しい。おもしろいのは、本を読まない学生よりも本をよく読む学生のほうが読み間違いが多いということだ。幼い頃から本に親しんできた学生は、ルビが振っていない漢字は、適当に読んでいることが多く、そのぶん読み間違いも増える。
 ところで最近きかなくなって残念な言葉がひとつある。なにかというと「的を得る」。この頃の学生は「的を射る」と書いてくる。これが気に入らない。その年で「的を射る」はないだろう、分相応に「的を得る」と書けといいたい。昔の若者はみんな間違えていた。ぼくもかなりの間、そう覚えていた。この間違いは若さの象徴といってもいい。だから、若者が「的を射る」と書いてくると、じつに気持ちが悪い。しかし怒れない。
 これはワープロ機能の発達のせいらしい。「的を得る」と入力すると〈「当を得る/的を射る」の誤用〉と出てくる。いらんお世話だ。そんなわけで、「的を得る」という言い回しは死語になりつつある。じつにもったいない。
   



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