2019年4月11日

ついに大学が始まった。1年のサバティカルの後なので、ちゃんと復帰できるかどうか不安だったが、案外と平気で、つい昨日まで大学で授業をしていたような気持ちになっている(って、ほんとかなあ)。昨日なんか多摩は、一時的に雪も降って、すごく寒かったけど、それにもめげず、しっかり授業をしてきた(つもり)。
それはさておき、研究室でふと本棚をみたら、陳舜臣の『元号の還暦』というエッセイ集が目に止まった。おお、なんとタイムリーなと思って奥付をみると、1992年発行となっている。短いエッセイが60収められていて、そのうちの1編が「元号の還暦」。
これがおもしろい。
日本や中国の書画の端にはよく、「甲子」とか「乙丑」などという干支を添えてある。書画が書かれた・描かれた年の表記だ。ただ、干支(十干十二支)は60年で一回りするので、それを書いた・描いた人が長寿だった場合、20歳のときの作品だったのか、80歳のときの作品だったのかがわからない。なので、雪舟の破墨山水にはていねいに「明応乙卯」と書かれている。つまり「乙卯」という干支の上に、そのときの元号を付け加えているのだ。元号+干支であれば、特定できるだろうという発想で、「いくらていねいな人でも、同じ元号が六十年以上つづくことは、想定できなかったであろう」と陳舜臣は書いている。
ここからがこのエッセイの面白いところで、こう続く。
「日本に一例、中国に一例、六十年以上つづいた元号があった。」
いうまでもなく、日本は「昭和」。ところが、中国のほうは知らない人が多い。このあと、「一帝一元号の制度は、中国では十四世紀後半の明の『洪武』からはじまり、日本では十九世紀後半の『明治』からはじまった」と続く。
偉いことに、ぼくは60年以上続いた中国の元号を知っている。清朝の「康熙」だ。1662年から1722年まで。なぜ知っているかというと、博学だからではなく、骨董が好きだからだ。中国磁器の器の裏によく「大清康熙年製」などと書かれている。もうひとつ、有名なのが「大清乾隆年製」。康煕帝の孫が乾隆帝。ちょっとでも骨董をいじったことのある人ならこれくらいは知っている。
ところが、このエッセイに書かれている次のことは知らなかった。
乾隆帝の元号は1736年から1795年まで続く。ところが乾隆帝は死んだわけではなく、退位して皇太子に譲位したのだ。なぜかというと、「祖父の元号(康熙六十一年)を越えるのは忍び難い」つまり、「せっかくつくった祖父の記録を破っては申し訳ないという」理由からだったらしい。
いい話だなと思う(以前読んだはずなのに、このエピソードは頭に残っていなかった)。
この「元号の還暦」、ほかにもはっとするような発見に満ちていて楽しい。ただ、陳舜臣というのはすごく頭がよくて記憶力の優れた人だったので、おお、ほう、すごい……などと思って読み終えるものの、読んだ後、あまり情報が残らない。何度でも読み返して楽しめるのも魅力のひとつなのだ。



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